雄弁は銀、沈黙は金って本当?ブログを書いてて悩むこと

下手糞なりにモノを書いていると悩むことがあります。やっぱり人様の見えるところで何かをする以上、それが何かを書く行為となると殊更に、認められたいものです。そういう承認欲求を否定しつつ書くというスタンスもありますが、それはそれで見える場所でやる以上、「承認欲求を否定した自分を承認されたい」ことに他ならないわけで。早い話、何を書いてもバカに思われるんじゃないかと。

例えば映画「タイタニック」の感想を語るとします。感想なんてものは感じたままに述べるべきものですが、誰かの目や耳に入る以上評価は避けられません。

 

「レオ様素敵!二人の愛に感動した!名作!」

陳腐な恋愛ドラマに浮かれてるミーハー系バカ。

「こんなんで感動する奴とかバカじゃねえの?くだらねえ。駄作!」

メジャーを批判することがかっこいいと思ってる中二系バカ。

「恋愛モノとして観て感動したりけなしたりする奴はどっちもバカ。この映画は災害スペクタクル映画として観たら最高。さすがジェームズ・キャメロン!」

自分だけは特別な視点を持つと勘違いしている高二系バカ。

「全員くだらないね。そんなこといでいちいち揉めなくていいでしょ?」

結局語るべき言葉を持ってないだけなのを必死に取り繕って隠そうとしてるだけの大二系バカ。

「そんなことより猫の動画でも観ようぜ!」

あえて空気の読めない発言をすることで空気を変える発言の出来る、コメディリリーフ的ムードメーカーと思われたい計算高い無職系バカ。

「そういう奴らのことをいかにもわかったようなフリをして語る当ブログ執筆者の僕」

自己客観性をアピールしたいだけの鼻につく系バカ。

「↑という俯瞰した自虐でバカと思われないように予防線を張っておく当ブログ執筆者の僕」

説明不要の痛い系バカ。

「↑という俯瞰した自虐でバカと思われないように予防線を張っておく当ブログ執筆者の僕」

説明不要の痛い系バカ。

「↑という俯瞰した自虐でバカと思われないように予防線を張っておく当ブログ執筆者の僕」

説明不要の痛い系バカ。

以下無限ループ

 

つまり、何を書いてもバカ。ことわざの「雄弁は銀、沈黙は金」という言葉は正しかったのでした。でも、評価を恐れて沈黙してたら認めてくれる人にも出会えなくなる。だからこそ雄弁をクズ鉄とせずに銀に例えてくれたのですね昔の人は。

 

「(吹き替え版を観ながら)ディカプリオ、日本語うまいね?」

天才。